保育士不足の背景には低賃金と過重労働がある。長時間保育の子どもや低月齢の乳児が増え、保育士一人ひとりの仕事量も責任も増える一方で、保育現場ではいま何が起きているのでしょうか。

 都心から電車で1時間弱のベッドタウンに立つある保育園は朝早くから動き出します。開園は午前7時ですが、6時45分の早番保育士の出勤を待ち構えたように、保護者に連れられた園児たちが登園します。保護者は替えのオムツや着替え、食事用エプロンなどを定位置にしまい、保育士に子どもを預けると、駅に駆けていきます。こうして午前8時前には在園する園児の3分の1の30人ほどが登園します。閉園時間の午後8時まで最長で13時間、保育園で過ごす子どもも少なくありません。

 保育士になって10年目の女性は言います。「待機児童問題が深刻になってから低月齢の乳児の受け入れが増え、体力的、精神的に重労働になりました。長時間保育の子どもたちも年々増えていて、保育士のローテーションもぎりぎりの状態。体調が悪くても休みたいと言うのも気が引けます」
●トイレに行けず膀胱炎

 女性は4歳児クラス18人の担任を1人で担当しています。早番勤務のときは朝から息つく間もなく、補助の保育士がついている時間帯にトイレに行こうと思うが、子どもに話しかけられたり、トイレに行きたいと言い出す子がいたりして、我慢することも多いです。トイレに行かずに済むよう水分を取らずにいたら、昨年秋に膀胱炎になりました。周囲にも膀胱炎に悩む保育士は多いです。
 「保育現場は余裕が全くありません。人の子育てを支援しながら、長時間労働なので自分の子育てがおろそかになってしまい、辞めていく人も多い。こんな職場で、子どもたちとちゃんと向き合えるのか、安全を守れるのかと、毎日自問自答しています」と女性は語ります。
 今年2月、「保育園落ちた日本死ね!!!」の匿名ブログで注目を集めた待機児童問題。背景にある「保育士不足」にもスポットが当たりました。というのも、認可保育園では保育士の人数が「児童福祉施設最低基準」によって「0歳児3人につき保育士1人以上」などと定められていて、保育士が足りないと園児を受け入れることができず、保育士不足による待機児童も各地で発生しているからです。保育士の有効求人倍率をみると、毎年1月ごろがピークで2015年1月には2.18倍。東京は5倍を超えています。それだけ求人に対し、なり手が少ないことがわかります。

・19年目で手取り16万円

 保育士資格を持ちながら保育士として勤務していない「潜在保育士」は国の推計で70万人以上いるといいます。厚生労働省が13年に実施した「保育士資格を有しながら保育士としての就職を希望しない求職者に対する意識調査」では、その理由として、半数近い人が「賃金が希望と合わない」と回答。「他職種への興味」「責任の重さ・事故への不安」が4割を超えました。責任や業務の負担は大きいのに、賃金が安すぎるという不満が浮かび上がってきます。

 厚労省の15年賃金構造基本統計調査によると、民間保育士の平均賃金は月額約21万3千円。全業種の平均(30万4千円)より約9万円低いです。

 これだけ売り手市場の保育業界なのに、保育士の賃金が増えない理由は、認可保育園の保育士の賃金が、政府の決める公定価格に左右されるからです。保育所の運営費は国や自治体が支出する保育所運営費や補助金でまかなわれ、保育士の数も決められています。

 「国が決めた基準があるので、賃金を上げることもできず、保育士の数も現場の実態を反映していないため、低賃金で過重労働になってしまう。深刻な保育士不足は国の政策の結果です。」こう指摘するのは全国福祉保育労働組合(福祉保育労)の小山道雄・副中央執行委員長です。

 福祉保育労に寄せられた「保育現場の声」には、自身の給与明細を添付する人もいました。17年目の保育士で手取りが月17万2862円だったり、19年目で16万6554円だったりという例もあります。  

 手取りが14万円余りの4年目の男性保育士は、「結婚はできたとしても、暮らしていけるか考えるだけで頭が痛くなります。」と吐露します。川崎市にあるすこやか諏訪保育園の奥村尚三園長(55)もこう言います。「大切な命を預かっているという責任と、子どもたちの心身の発達を支援する仕事の内容や量を考えると、現在の給与は見合っていない。」
 奥村園長によると、保育士たちは専門的知識を生かして子どもたちそれぞれの発達を支援します。遊びも指導計画に基づいていて、たとえばお散歩一つにも狙いや目標があるといいます。さらに園児の様子から家庭の状況を察知し、子育てで孤立したり、精神的に不安定になったりしている保護者への支援も担うなど、難しい業務を行っています。

 保育の専門家として、これまでは認可保育園の運営には常に、保育士2人以上の配置が義務付けられていたが、国は保育士不足解消のため、今年4月から子どもの少ない朝夕に限り、保育士1人に加え、研修を受けた保育ママなど資格を持たない人による保育を認めるようにしました。この規制緩和に対し、現場では「朝夕は異年齢の子どもを一緒に保育するのでトラブルが起こりがち。逆に専門性を備えた保育士の確保が必要」「無資格者ができる仕事だと思ってほしくない」という反対意見も多いです。
・毎日仕事を持ち帰り

 福祉保育労保育部会事務局長で元保育士の佐々木和子さんは、「自身の保育経験をもとに保育をする年上の無資格者に対して、若い保育士が指示や注意をしづらく、ストレスが増えたり、一人で業務を抱え込んだりして負担が増えています。」と言います。

 保育士の過重労働の原因はほかにもあります。まずは膨大な書類書きです。都内の子育てサポートセンターで働く男性保育士(28)は、認可保育園で働いていた当時、国の「保育所保育指針」で定められた月案や週案などの指導計画や、日報にヒヤリハットの報告書、そして保護者への連絡帳などの書きものが負担だったといいます。行事の製作物も加わると、勤務時間ではとても終わらず、毎日のように仕事を家に持ち帰っていました。

 食物アレルギーへの対応を必要とする園児や、集団に適応しにくい園児も増えていて、保育士たちのより細やかな対応も必要になってきました。さらに、保護者対応も負担増の大きな要因です。不当な要求をするいわゆるモンスターペアレントもいます。

 保育園のトラブルに対応するサービス会社「アイギス」の脇貴志社長は、「自分の子を特別扱いしてほしいという親が増え、保育士の負担を増やしている」と言います。たとえば、「うちの子にはこれを必ず使って」と、特別な日焼け止めクリームや虫よけ薬を預ける親や、「給食の調味料に食品添加物が含まれているかもしれないから」と持参した調味料を使うように求める親もいます。東京の郊外にある認可保育園で働いていた女性(34)は、2歳児クラスの担任をしていたとき、ある女の子の母親に悩まされました。

「服汚した」と親が苦情

 その母親は有名大学病院に勤める40代の看護師で、子どもにブランドものの服を着せて登園させていました。絵の具や泥んこ遊びの日は事前に知らせているのに、母親は「どうしてラルフローレンの服を汚したのか」と弁償を求めてきました。園長が「面倒だから」と言いなりになって弁償すると、苦情はエスカレート。母親は気に食わないことがあると連絡帳1ページにぎっしり文句を書いてくるので、女性は毎朝その子の連絡帳を開くのが怖くなり、退職を決意しました。その後、民間の学童保育などで働いましたが、現在は専業主婦。保育士に復職する気はないといいます。

 その女性が現場に戻らない理由は他にもあります。事故への恐怖です。一時保育の担当をしていたときに、床に置いた給食のスープ缶に0歳児が手を突っ込んでやけどを負ったことがありました。給食の準備に追われていた中での自分のミスでした。肌は数カ月後にきれいに治ったが、いつケガをさせてしまうかとビクビクするようになりました。

 都心の繁華街の雑居ビル2階にある無認可の24時間託児所で6年間働いていた男性保育士(34)も「何かあったらどうしようと常に神経をすり減らしていた」と振り返ります。

 園長のほか2人の保育士で15人の子どもをみていて、男性が一人で異年齢の園児8人を近くの公園へ連れていき遊ばせていました。高熱の子どもに解熱剤を飲ませて預けていく母親もいて、途中具合が悪くなった園児を、連絡の取れない母親に代わって小児科へ連れていったこともあります。心身への負担は大きいのに時給はわずか900円でした。

 前出の脇さんは警告する。「保育園はリスクが過度に集中する場所です。でも園側も保護者側も危機意識が薄い。」
・名刺持ち「認められた」
 たとえば園での様子を保護者に伝える連絡帳。お昼寝中に書く保育士は多いですが、実は昼寝時間は危険な時間帯。内閣府の発表によると、15年の保育施設での死亡事故は14件で、うち10件が睡眠中に起きました。
 「死亡事故が起きる可能性が最も高いお昼寝の時間帯に連絡帳を書くなんて論外です。『ながら仕事』で注意力が散漫になり、保育士が連絡帳を書いている数十センチ先で子どもが亡くなる事故が繰り返されています」と脇さんは語ります。

 昼寝の時間や給食の内容、遊んだ様子などを細かく書いてもらうほど、保護者は保育園での子どもの様子がわかってうれしいものですが、保育士が子どもをみる時間を削って書いていると考えたほうがいいです。このような中、保育士の働く環境を少しでも改善しようと取り組んでいる園もあります。

 首都圏を中心に12園を展開する「茶々保育園グループ」では保育士の社会的地位向上に取り組んでいます。今年4月からはパートも含めたすべての職員が名刺を所持。迫田健太郎理事長は、「保育士はこんなにもプロフェッショナルな仕事をしているのに、名刺もなかった。子どもたちに一番近い社会人として、誇りと自覚を持ってもらいたいと思っています。」と言います。茶々おおいずみ保育園(東京都練馬区)で主任保育士の尾又あゆみさん(32)は、名刺を持った効果をこう話します。「社会人として認められた気がして、保育の質もますます上げていかないと、と思うようになりました。」

・ソーシャルな目線必要

 同グループでは産休、育休、時短制度のほか、個人の事情に応じた時間固定勤務もでき、子育てしながらでも働き続ける職員が多いです。5歳と3歳の子どもがいる尾又さんも、時短勤務を経験し、現在は固定勤務。時短勤務を経験したことで、それまで夕方以降にやっていた書類書きを日中手が空いたときにやるなど、効率良く働くようになったといいます。

 神奈川県茅ケ崎市のなぎさ第二保育園では、「保育園が単なる預かり所という認識のままでは保育士の処遇は上がらない」と、保育の現場をもっと知ってもらうために園の様子を日々写真に撮り、保護者に提供しています。インターネット写真販売サービス「スナップスナップ」も利用し、保育士の仕事増にならないよう工夫します。柿澤秀旗園長(40)は「保育園の雰囲気は保育士で決まるんです。保育の力をもっと世の中に知ってもらいたい」と言います。

 前出の迫田理事長も、保育士と園児たちが遊ぶ様子を見つめながらこう言いました。「保育士たちは子どもたちの生きる力を引き出し、未来をつくっている。素晴らしい仕事なのに、これまで私たち業界もそれを世の中に認めてもらう努力が足りなかった。これからの保育園にはソーシャルな目線が必要で、もっと地域や社会に開いていかなければと思っています。」